社長コラム
2024年1月2日
2024年3月 1日掲載
令和6年元旦。 妻の実家である越谷へ愛犬ピカと行った。何時間かを過ごし、
帰ろうと車に乗った瞬間である。 スマホから大地震を告げる警報が鳴った。
あの警報は何度聞いても嫌なものだ。心が紙やすりでズリズリと削られていく。
画面を見ると場所は石川県だそうだ。
昔、妻と元旦に七尾温泉に行った。相当に雪深かったのを思い出す。
自分自身が体験した東日本大震災の時のイメージと、雪深い七尾温泉の光景が
網膜の後ろで合成されてずっしりと肩に重みを授けるのだった。
「能登半島地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。」
想定外の元旦で始まった令和6年。 お屠蘇の酔いは冷めきってはいたが
翌日更に激震が羽田空港を襲う。 日航機と海保の航空機の衝突炎上事故だ。
衝突の瞬間は、事故直後からテレビで繰り返し放送される。
見た瞬間に心臓を両手で握られる程のショックを受けた。
「これでは誰も助からない」瞬時に脳裏をよぎる、私の声。
もちろん、口に出してはいない。いけない。
火の回りは思っている以上に速い。
御巣鷹山の日航機事故は私の小さい時の記憶として残っている。
映像は事故の翌日。機体は既に鎮火していた。
今見ているのはリアルタイムの火災である。
人が焼かれている映像をテレビが映していると思うと
胃がシクシクする。
その後、日航機の乗客乗員はすべて無事という吉報があり、しばし喜ぶと
共に海保に犠牲者が出てしまったことに眉をしかめるのだった。
そんなわけで、今年の正月は予想外の出来事が頻発して、
私の体はそのたびにリアクションを起こしておりました。
皆様もそうだったのではないでしょうか?
心と体は表裏一体だと感じさせられた令和6年でした。