社長コラム
35年目のチャレンジ
2023年11月 1日掲載
35年前、心に期待を抱いて私は高校へと入学した。
73年前に「高校球児」であった父との若干の確執を経て、
私は「高校庭球児」となったのである。
この確執は以前コラムにも書いたのだが、
かいつまむと、野球をやらせたい父とバレーボールをやりたい私が
協議した結果、ボールが野球でコートがバレーボールの「テニス」
をやるという事になったという珍現象である。
一方、その頃の男子プロテニス界は、「ビヨン・ボルグ」と「ジョン・マッケンロー」、
「ジミー・コナーズ」といったスターの時代が終わり、戦国時代の様相であった。
その中でも頭一つ抜け出ていたのが、イワン・レンドルである。
当時冷戦下で社会主義陣営にあったチェコ国籍であるだけでなく、その正確無比なショットと、スナイパーのような風貌で、悪役の様に言われた事もあるレンドル。そして、彼の牙城を崩そうと実力をつけてきた「ステファン・エドバーグ」や「ボリス・ベッカー」などのヤングパワーがしのぎを削っていたわけだ。
この3人に共通していたこと。それは「バックハンドが片手である」という事。
現在男子プロテニス界では多くが両手バックハンドであるが、35年前はトッププロの多くは片手バックハンドが多かった。そもそも男子で両手バックハンドを認知させたのは、この一つ前のスター、前出のボルグとコナーズからであり、当時としてもまだ主流派とは言い難かったのである。
そのような状況であるが故、私も高校時代から片手バックハンドを選択し、両手にしようと考えたこともなく、今日までテニスを続けていたのだが...。
齢50歳を超えてくると、体の方が悲鳴を上げてくることがわかってきたのであった。
元々体の硬い私、怪我が多くなり治りが悪くなる。 下半身の筋肉の負傷から始まった
怪我の連鎖は右手首というテニスで一番使う部位に及んだ。
...という経験を経て今年、35年目にして、初めて両手バックハンドにチャレンジすることに。まずは、ラケットの真ん中「スイートスポット」に当てる事から挑戦。
「ガコッ(ラケットのフレームに当たる音)!」
思いやられるスタートである(汗)。