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社長コラム

山陰旅行12 しげるで大団円

2021年2月 1日掲載

山陰旅行、延長戦の一話でございます。
水木しげるロードを歩きますと、色々な妖怪の銅像が立っておりました。
その数なんと100体を超えるのだそうです。
その中に、今では有名になりました「アマビエ」さんもありましたが、当時は
まだコロナ禍の一歩手前、すぅーっと通り過ぎた河野一家でございます。
やはり、先見の明はなかったわけで...。

ロードの行きつく先は水木しげる記念館。そこで、私は初めて知ったのです。
自分のことを「水木先生はね...」という事、
はじめて彼が鬼太郎が売れるまでの45年間貧乏で不遇の生活を送っていた事、
売れるまでにいろいろな職業を転々としていた事、
出征でラバウルの激戦にて片手を失った事...。
そして色々な人生の悲しみに際しても「楽天」を失わず、自分のやりたい事だけを
信念をもってやっていた事を。

今の時代では考えられない「壮絶な人生」を体験した人が、こんなにも
楽観的に生きられるのだろうか。
一つ一つのエピソードが私の脳内で巡る度に、
「自分だったらこんなにおおらかにいられるだろうか?」と問いかけずにはいられませんでした。
ゲゲゲの鬼太郎が持つ、何とも言えないのんびりとした雰囲気は、まさにこの「大いなる楽観」であったのだ、と記念館を後にする頃には感じるようになったのです。

駅のロータリーにあった「なまけものになりなさい」という記念碑。
水木しげるという人を知らなければ理解できない言葉であると、
帰りの飛行機の中でしみじみ考えながら、千葉にたどり着いたわけでございます。

コロナ禍は、まだまだ続くようで、「今まで人類が体験した事のない厄災」と報道で
いわれています。
「災い転じて福となす」という言葉も使いすぎて言霊も抜け落ちたこの世を
水木しげる先生はあの世から見て言っているかもしれませんね。
「なまけものになればいいのにねー。水木先生みたいに」
山陰旅行、これにて大団円でございます。来月はまた別のお話で(笑)。

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